アーカイブ 2004年6月

2004年 6月 29日

銀座・三越に買い物

先日の土曜日は、妻と銀座・三越に買い物に出かけました。非常に人
が多かったのです。バーゲンをやっているからなのか、どこの階も活
気に溢れていました。

普段銀座に行くわけでもなくこの状態が普通なのかどうかもわかりま
せん。価格の二極化で、安いものに志向する一方、良いものを求める
目も養われているのか?

背広(スーツと読んだ方が若いのであろうが)を新調するため、行き
つけの店に行った。データベースにサイズが入っており、ウェストだ
け多少変化があっただけだ。5,6万円で1着購入できるのでけして
高くはない。

靴も思い切って買ってしまった。だいたい海外に行ったときに2万円
弱の靴(日本で買うと2.5~3万円)を買い求め、4足程度を交換して
はき、かつ修理に頻繁に出しているので長いもので6年くらいの寿命
がある。

しかし、ここ最近海外出張も減り国内で購入することが多い。でも日
本で購入すると高いのが難点だ。でも、3万円程度に挑戦してみた。
日本橋・三越に行ったときは、6~8万円の靴が売られている。これを
とても購入できる勇気はなかった。

いつもデパートに妻と来るとまず楽しくない。あっちへいったりこっ
ちへ行ったりつれ回されたあげく購入しないで帰ることがあるからだ。
でも自分のものを購入したせいであろうか?楽しかったですね。こん
な買い物を毎月できる身分になりたいものだ。

なんとその足で今度は、恵比寿ガーデンプレースの三越へ飛んだ。な
ぜ三越ばかりにこだわっているのか?義理の母が友人から7%の割引
き券をもらったからだ。妻はヨーロッパ調のランプを購入した。以前
同じ場所で購入しなかったものが、忘れられないらしい。

「欲しいものがあったら後悔しないように買ったら?」と言ってあげ
たら嬉しそうに妻は購入した。まあ、1年に1回できるかどうかの買
い物に満足しながら帰宅しました。

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2004年 6月 28日

外資系企業って!?: 注意

Max です。

皆さんは、上司の人に注意を受けたことがありますか?

昨日は元上司におしかりを受けました。正直ものすごくショックで
した。つまり自分が恥ずかしかったのです。しかし、注意して下さっ
たことに非常に感謝しています。

50歳になった今なかなか注意して下さる人はおりません。怒るわけ
ではなく気づかせて戴いたというのが正しいでしょう。人間としても
心遣いに欠けておりました。

外資系にいるからなのでしょうか?なかなか注意して下さる人は本
当におりません。私が35歳で外資系に転職して来た時の上司には2つ
注意して戴きました。

1つは、「相手の顔を見て話しなさい。」ということでした。もう
1つは、「イエス、ノー」です。

技術出身の私はエンドユーザーに対して嘘を言うことができないと
の意識からネガティブな発言をしました。つまり、「それはできませ
ん。」と回答しました。

上司が言いたかったのは、「基本的(原則)にはできます。」と先
ず言いなさいということです。「しかし、こういうところはできませ
んが、こういう代案があります。」的に回答しなさいということです。

最初からネガティブな印象を与えるのではなく「大丈夫ですよ(イ
エス)でも(ノー)こうしたら如何でしょうか。」的に話しなさいと
いうことを教えてくれたのです。

このような上司を持てて幸せですね。今度は自分が逆の立場で部下
にできるかが課題ですね。

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2004年 6月 24日

息子

カテゴリー:Maxの詩

Max です。

正直詩を編集後記に掲載するのは恥ずかしいのです。本当に詩が得
意な人は15分で完成したりすることもあるでしょう。私の場合は、才
能がないので1週間くらいかけて電車の中で作成していました。

今週も詩をご紹介致します。これも平成9年に作ったものです。息
子は現在20歳ですが、当時中学2年生のときでした。

 「息子」 平成9年8月2日作

 二人家族に もう一人
 初孫嬉し 祖父母たち
 育っておくれ 健やかに
 この日の気持ち 大切に

 どこにあるのか あのエナジー
 疲れを知らず なお遊ぶ
 全てにいだく 好奇心
 小学時代 我が息子

 優しさ増して すくすくと
 背丈も妻を 追い越して
 受験勉強 焦りだし
 中学二年 夏休み

あなたは小学生1年生から4年生まで悪ガキでしたね。普通の子で
あったら親として苦労しなかったのに。でも常に良い先生と巡り会い
ましたね。

中学生の時代もある先生に逆らってしましたね。普通の子であった
らもっと通信簿の評価がかなり上だったはずですね。

高校1年生のときに恐喝されお金をとられ続けたときは大変だった
ですね。これもあなたが悪いことをしたところを見られつけこまれた
のが原因でしたね。

彼らは町の暴力団と関わりがありその難局をどう乗り越えれば良い
か悩みましたね。あなたも悪いわけですからこれが高校にばれればあ
なたは停学か退学のはずでした。でも思い切って警察に行きました。

まさにわが町の不良たちに警察も困っていましたがそれが証拠とな
り彼らは逮捕されました。私の高校時代の先輩の弁護士に相談にのっ
てもらいました。

今から思うとこれが最後の悪行でした。高校時代も良い先生に恵ま
れ今でもお付き合いしていますね。親としてどうしようと思ったこと
が何回あったかわかりませんが、立派に成長してくれて嬉しいです。

もうわかってくれていると思うがあなたはいろいろな人に助けられ
生きているのですよ。

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2004年 6月 21日

外資系企業って!?: 役職

Max です。

前にも説明したが外資系でたまにあるのが「縦組織」である。日本
の社員であるにもかかわらず、本社や地域本社にレポートしている人
達がいます。

日本の社長としては、日本の中で閉じたマネジメントをしたいと思
っています。つまり、日本の顧客や日本のビジネスパートナーに対し
て同じ戦略で同じ言葉で接して行きたいからです。

しかし、日本で採用された社員であってもレポート先(上司)が海
外であったりすると戦略やビジョンから始まり役職に至るまで日本の
それと異なる場合があります。

私の場合も、ずっと日本の上司にレポートしておりその時の役職が
シニアマネジャーでした。ところがシンガポールにレポートするよう
になると私の役職がシニアエンジニアになったのです。

日本で採用されたときにはテクニカルマネジャーで、そのときに既
に部下を持つようになっていたにもかかわらずそのようにされてしま
ったのです。

たまたまAPAC(アジアパシフィック)の社長が日本に来たときにパ
ーティの中で私の部下の女性がその社長に向って私をシンガポールの
組織から外しその部署の長にすべきであると申し出たのでした。

APACの社長はその女性の顔だけでなく回りにいた別の部下の一人一
人の顔をうかがっておりました。そこで社長はうなずき○○○ジャパ
ンマネジャーという英語の役職と部長という日本語の役職をもらった
のでした。

そのときは本当に感激的でした。

また、逆のケースもありました。ある日本の営業担当は対外的にみ
なマネジャーと名前をつけています。その上司は部長であり英語の肩
書きはディレクターです。その部長は日本の社長にレポートしていま
した。

しかしその部下の一人はAPACにレポートしていました。そのためタ
イトルは、○○○Regional Managerでした。これは、ある地域を統括
するマネジャーであるような印象を受けます。

日本でいうと営業担当マネジャーで部下もいない人だったのですが
それを転職のときにうまく活かすことができ現在はある外資系の部長
職をしています。

また私の知っているある人はマーケティングのマネジャーであり部
下がいませんでした。対外的にということでその人は名刺を2つもっ
ていました。その1つがジェネラルマネジャーです。彼はそれを利用
して日本の支社長になりました。でもこれはルール違反ですね。

では、水曜日にお会いしましょう。

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2004年 6月 17日

夫婦

カテゴリー:Maxの詩

Max です。

今週も詩をご紹介致します。これも平成9年に作ったものです。場
所を詩に織り込み夫婦としての歴史にまとめたものです。あまりにも
ローカルな場所が出てきますが、会社のある場所に依存しています。

 「夫婦」 平成9年7月31日作

 「おちあい」という 喫茶店
 話す言葉の ぎこちなさ
 二人の出会い 思い出す
 新宿の街 愛の街

 小さな家の お飯事(ままごと)
 子供に返る 君と僕
 急ぐ帰宅を 待ちわびる
 若妻のいる 座間の街

 返す笑顔の 純真さ
 抱く手も震え 若いパパ
 授乳とおむつは プロのママ
 三人家族 相武台

 四人家族の 君と僕
 息子の丈は 妻越えて
 着せ替え人形 我が娘
 幸せの街 ああ町田

座間及び相武台(神奈川県)は小田急線にありますが、そのころは
厚木に通勤しておりました。町田に引っ越してからは、六本木に通っ
ています。

みなさんも、場所に絡む記憶ってありますよね?!

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2004年 6月 14日

外資系企業って!?: 転職‐その2

9年目に入ると急に社員が増えました。42人となったのです。売上
は32億円。この年にポストセールスの部長になりトラブルだけを扱う
ことになりました。エンジニアも自分で4人採用しました。トレーニ
ングを行なうインストラクターも採用しました。でも、彼らを教育す
るのが今度は大変になりました。しかし、SE部隊もでき営業支援はじ
ょじょにそちらに任せるようにしました。

10年目は外資系企業の経営ができる日本人が入ってきました。米国
の超有名大学でMBA を取得し前の外資系企業で副社長をしていた人で
す。今までは個人商店のビジネスでした。1人が何役もこなすのです。
極端なことを言うと営業でも端末からシステムのデータ変更ができる
人間がいたり、トラブルを扱う私までが営業活動をすることもありの
世界でした。

60人の組織になり分業体制となりました。と同時にAPAC(シンガポ
ール)から私の組織は直接マネジメントされることになりました。直
属の上司はシンガポールにいるオーストラリア人でものすごく厳しい
人でした。しかし「飴と鞭(むち)」の使い方を知っている人でした。

一番つらかったのは、私のポストセールス(トラブル対応)の部隊
は米国を除けば世界で一番技術力のある組織に成長していました。し
かし、どうしても日本ではわからない問題は今までアメリカの技術部
門に直接聞いていました。しかしシンガポールの技術部隊にエスカレ
ーションしなければならなくなりました。

われわれからすると技術力が無さ過ぎでお話になりません。そこで
現状を直訴し日本のエンジニアを直接アメリカに3ヶ月交代で駐在さ
せたのです。夜エスカレーションすると朝回答が返ってくるのです。
しかし、上司とその部下が日本に来た時に個室に閉じ込められ2時間
に渡るお説教です。

私がしたことは、「シンガポールは実力がない。」ことを証明した
ようなもので向こうからすると立場がなくなったわけです。部下に不
満を持たせたのは私のマネジメントが悪い、シンガポールの技術力が
ないことを直接表現するのは失礼である等々のお説教でした。でもそ
の年の目標は達成され、バンコクにご褒美の旅行が全員に与えられま
した。

11年目には、69人、36億円の売上。12年目に105 人、78億円。13年
目に136人、103億円。このときには私はプリセールス(SE)の部長にな
っていました。と同時にエンドユーザーに対して直接保守するビジネ
スを立ち上げました。1人のエンジニアを使い、ある代理店にアウト
ソースしたのです。まだこのころはAPACの存在は迷惑であったものの
日本で自由にアクションがとれた時代でした。

14年目はリストラの時代です。131人、78億円でしたが22人が退職
しました。15年目は101人、42億円で33名退職しました。

実は、16年目の今年は93名で、40億円いくか行かないかのレベルで
す。社員数は半分であってもおかしくない状況ですね。

前にもお話しましたが「縦組織」の弊害で日本の社長が40%の社員
に対してのみしかコントロールできないのです。残りは、アメリカや
APACの人によりコントロールされているのです。予算、人事権がかれ
らにありますからその「縦組織」の中でリストラが始まるのです。

このような状況の中50歳で最年長となり当然収入も上に属する私は
遅かれ早かれ標的にされると判断しました。リストラされた人達は当
然のことながら就職が難しいのが現状です。

今度転職する会社は、60人、50億円の売上の会社です。イギリスの
外資系企業でヨーロッパではコンサルタント会社として有名な会社で
す。日本では、通信事業をしています。実は、もうその会社には私の
今の会社から4名が転職しているのです。1人が営業本部長で実質No.
2です。

かれは、20人の部下を持っています。また、Operation と呼ばれる
技術部隊は現在31名で、アイルランド人がマネジしています。その下
にカスタマーサービス部があり、そこで私は働きます。20人のエンジ
ニアがいる部隊です。Operation の下には別の部もあり現在そこにも
私の今の会社から転職した人がいます。その人が今度Operation のト
ップになります。つまり私の上司になるわけです。

60人の会社で、そのうち20人 + 31人が、いわゆる私の友人により
マネジされることになるわけです。その31人の20人を私が面倒を見る
ことができるということは、この3人で会社の方向性をコントロール
できる可能性が非常に高いということを意味しています。

そういう意味で非常にチャレンジングな仕事です。エンドユーザー
相手の仕事でしかもキャリア(通信事業者)がお客様ですから今の仕
事をはるかに越える忙しさになることはわかっています。

50歳にして新たなる人生の開始です。私の最初の会社では、友達が、
先輩がリストラに遭いました。今のこんな時代に仕事があるだけでも
ありがたいと思わないといけませんね。

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2004年 6月 10日

カテゴリー:Maxの詩

Max です。今長女は16歳の高校2年生を吹奏楽部でエンジョイして
います。

今週も詩をご紹介致します。これも平成9年に作ったものです。7
年前ですから彼女が9歳の小学校4年生のときのものです。

 「娘」 平成9年8月4日作

 男の中で 育ちたる
 女児誕生に 感無量
 疲れた帰宅 安らぎの
 産着の中に 君の笑み

 妻の晴着は 娘へと
 時代を超えた 引き渡し
 さしたる紅の 鮮(あざ)やかさ
 小さな色気 七五三

 大人負けじの 機転あり
 夫婦喧嘩も 助けられ
 少女らしさが 芽を出して
 真の優しさ 溢(あふ)れ出る

両親は普通ですが、娘は突然変異で美人です。(親ばか!)

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