アーカイブ 2007年6月

2007年 6月 28日

感情をマスターしましょう!

原書リーディングコンサルタントのマックス石田です。

マイケル・ボルダックの3日間のセミナーに出て来ました。彼が言っ
たことを私なりにアレンジして表現してみますね。その方が分かり易
いでしょうから。

ある人は1億円が欲しい。また、ある人は愛する人が欲しい。また、
海外勤務をしたい人もいる。ある人は本を読んで成長したい。人それ
ぞれ○○を得たいと思っています。

マイケルによると私たちはそういう個々の事象の背後にある「感情が
欲しい」からと言う。1億円が欲しいのは実は成功したという自信が
欲しいのかもしれない。成長したというわくわく感が欲しいのかもし
れない。

いずれにしろ感情が欲しいのだ。

でもこの感情をコントロールする方法をわれわれは学んで来なかった。
逆に感情をコントロールされる方法を身につけてしまった。

「○○すると先生に怒られるわよ!」
「分かるけど無理じゃないの!」
「成功する人はほんの一部の人よ!止めた方がいいと思うよ!」
「お前うざいよ~」

どうしてもネガティブな会話を聞いたり見たりすることがほとんどで
す。

「出る杭は打たれる!」

何度この言葉を聞いたことか?行動して誰かに非難されるよりは何も
しない方が楽だし得だしと思ったことありませんか?

日本人の特徴は人の目が気になります。そして失敗するのが怖い人が
多いです。

マイケルは、人生をマスターするために5つをマスターしなければな
らないと言っています。
(1)感情
(2)健康
(3)人間関係
(4)お金
(5)時間

しかもすごいことを言っていました。「感情をマスターしないと2~
5をマスターできない。」と。

成功の80%は心理的なものから来る、残りの20%は、技術(スキ
ル)と言っている。

つまり自信(感情)が持て、スキルがあれば行動できるのです。

知識はパワーにならないとも言っています。よくセミナーにばかり出
席する人がいます。また、本ばかり読み知識はあるのに、ちっとも行
動に移せない人がいます。

そう、頭では分かっているのに行動できないのです。知識やスキルが
あっても行動できないのです。

ですから感情をマスターする必要があるのです。ですからウェルスマ
スターイングリッシュクラブの人はパワーがあるのだと分かりました。

感情をマスターすることしているからです。マイケルは、知識を得て、
感情をマスターして、無意識の力を使えと教えてくれました。

「私はできる。」
「私はきっとできる。」
「必要なものは今全て私の中にある。」
(All I need is within me right now.)

こういうプラスの言葉を毎日何回も自分に言い聞かせるのです。そう
すると潜在意識や無意識が勝手に働いて行動しやすくなります。

皆さんも応用して見て下さいね。

さて、マイケル・ボルダックってどんな人なんでしょうか?

幼少期に実の父親が母親を殺害するという非常にショッキングな体験
をします。そのショックから、重度のどもり症となり人間不信に陥り
ました。

高校を中退し、仕事はゴルフコースの芝刈りをはじめました。人と話
す必要がないからです。19歳の時、マイケルは1冊の本と出会いま
す。

成功者は生まれつきでなく作られるものである。

ここから変わりはじめるのです。独学で半年後にどもり症を克服しま
す。

アンソニー・ロビンズ氏と出会い、アンソニー・ロビンズの会社でト
ップセールスマンとして成果を上げ、後にバイス・プレジデントとな
ります。

プロコーチとして、コンサルタント会社の経営者として成功していま
す。

こんな境遇に陥っても人間って変われるんです。人生諦めないで下さ
い。私は今一番燃えています。

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2007年 6月 25日

マイケル・ボルダックの3日間のセミナー

原書リーディングコンサルタントのマックス石田です。

マイケル・ボルダックの3日間のセミナーに22日~24日で参加し
て来ました。

感情をどうコントロールするかというトレーニングです。詳細はまた
編集後記に書きますね。

私たちのメルマガの読者から6名が参加して下さいました。加藤さん、
矢森さん、間瀬さん、小川さん、高森さん、斉地さんの奥様ありがと
うございました。御名刺をお持ちでなかった方是非メール下さいね。

皆さん一人一人から感謝され感激でした。本当に嬉しかったです。特
に斉地さんご自身は参加される予定でしたがお仕事の都合で欠席され
ましたね。奥様から編集後記を読まれ大きく変わられたこと伺いまし
た。大変嬉しいです。奥様とは3日目のランチをご一緒させて戴きま
した。

マイケルは7歳のときに実の父親が母親を殺すことでどもりになって
しまいました。どもりは恐怖から来るのです。

その彼が人間不信を克服しある一人に人に出会い、問題を克服しビジ
ネスでも成功して来ました。彼は人それぞれ問題を抱えていることを
良く知っています。

そんな人たちを彼のコーチングで支援してあげたい、そして最高に幸
せになってもらいたい気持ちで生きて来ました。ですから我々と同じ
視線で接してくれました。日本人受けする気遣いのある講師でした。

さて、女性の肌の露出度が段々と高くなっていませんか?気になるの
は私だけでしょうか?

女子高生の細い足に超ミニスカート(いいんじゃない?)
女子高生のぶっとい足に超ミニスカート(正直見たくない!)

は、まだかわいいものです。

胸の谷間を見せているのは日常茶飯事になって来ましたが渋谷、新宿
を歩いているとすごいですね。

乳房の3分の1を露出しているのはまだ許せるとして2分の1は、や
り過ぎではないですか?

おへそを出すルックスは、山本リンダの1972年の「どうにもとまらな
い」が最初ではないですか?ものすごくセクシーだったですよね。
http://dribox.g-serve.net/kayopop/JpopGirl/Y.Rinda/Y.Rinda.htm

最近目にするのがこの「へそ出し・腹出しルック」です。まあ、ほと
んどがスタイルの良い女性がしているので、あまり違和感もなく慣れ
て来たが、ほんのちょっとした違いで驚いてしまう。

たった1-2cm下がっただけで「おへそ」が「下腹部」になり、「背中」
が「お尻」となる。こんなことを感じているのは私だけであろうか?

「恥じらい」って日本文化ではなかったのか?

女子高生がコンビニの前や電車の床に直接腰を降ろして座っている姿
はどう見ても品がないと思いませんか?

また女子高生が駅構内のいすに座っているときスカートなのに足を広
げていました。がっかりです。

「品格」って必要ですよね?

そんなものに目が行った最近でした。

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2007年 6月 21日

スピルバーグの話

原書リーディングコンサルタントのマックス石田です。

私がニックネームでマックスとつけてもらったのが1989年のことです。
もう18年も呼ばれています。私の名刺の裏には、英語名でMaxと入
っています。

さて、今日はスピルバーグの話です。アンソニー・ロビンズの
Unlimited Powerの中からご紹介します。

From the age of twelve or thirteen, Spielberg knew he wanted
to be a movie director. His life changed when he took a tour
of Universal Studios one afternoon when he was seventeen years
old.

(12、13歳からスピルバーグは映画監督になりたかった。彼の人生を
変えたのは、17歳のある午後ユニバーサルスタジオへ行ったツアーだ
った。)

He ended up meeting the head of Universal’s editorial
department, who talked with him for an hour and expressed an
interest in Spielberg’s films.

□end up: 結局~になる、~で終わる
□editorial department: 編集部

(彼は編集部長とのミーティングを終えた。編集部長は彼と1時間も話
しをしてくれスピルバーグの映画に興味を示した。)

スピルバーグは普通の男の子ではなかった。彼にはパーソナルパワー
があった。彼は自分が何をしたいか分かっていた。

He learned from his first visit, so he changed his approach.
The next day, he put on a suit, brought along his father’s
briefcase, loaded with only a sandwich and two candy bars, and
returned to the lot as if he belonged there.

□bring along: ~を持って来る
□load with: ~を積み込む
□lot 【名】人の群れ
□belong 【動】所属する

(彼は最初の訪問から学んだ。それで、やり方を変えた。次の日、ス
ーツを着て父のフリーフケースにサンドウィッチと2つのキャンディ
ーバーを入れあたかも従業員かのように人の群れに入った。)

その日警備のゲートを大またで通り抜け、捨てられていたトレーラー
を見つけると、ドアにプラスティックの文字で、「スティーブン・ス
ピルバーグ監督」と貼り付けた。夏の間中、監督、作家、編集者との
ミーティングに参加した。

そして最終的に20歳のときにユニバーサルに作品を見せてテレビのシ
リーズものの7年の契約を獲得します。彼は夢を現実にしました。

本当にびっくりしました。本当にやりたいことを見つけると人間何で
もできてしまいそうですね。17歳で非公式にユニバーサルスタジオに
入りまさに実践的な教育を受け20歳で番組を持つことになるわけです。

皆さんも本当に強い夢や目標を持つとどんどん行動できるかもしれま
せんよ。

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2007年 6月 18日

息子からの手紙

原書リーディングコンサルタントのマックス石田です。

2007/5/10--第973号で息子の話題をあげました。仙台
に赴任した息子に30頁の手紙を書いたことを述べましたね。

私は、ずっと父のことを憎み続け、1992年から1994年にかけ
て、自己改善に励みました。父に手紙を送ったり詩を書いて贈りまし
た。そうしたら、40歳にしてこの苦しみから解放されました。

妻は同じ関係(不和)を私と息子の間に作りたくないとずっとずっと
願っていました。私が息子にどんなに努力しても息子は心を開いてく
れませんでした。

そうしてもぎこちない会話になってしまうんです。それは母親である
妻と息子・娘のラポールのとれた会話とは違います。

私は半ば息子とはこれ以上親密になれないと感づいていました。

しかし妻は、どんなに子供がそうであっても親として私が息子に努力
し続けることを願っていました。そう妻でさえそういう努力があった
からこそ今のラポールに到達できたからです。

努力しないのは簡単です。でも半ばあきらめている私にとってはかな
り難しいことでした。そんな話を妻としたのが5月4日でした。

涙ながらに訴える妻。

>「なぜ、もっとあきらめないで子供(息子)に接しないの?」
>「どんなにそうされても絶対にあきらめては駄目。私はずっとそう
> やって来た。」

そうして次の日に息子に30頁の手紙を書きました。51年の楽しく
なかった人生のこと。父への憎しみ、妻との不和、上司との関係、息
子への責めの気持ちがあったこと。それを1つ1つアクションを決め
て解決したこと。

51歳のときに師匠のクリス岡崎に出会い、感情のコントロールを学
び、劣等感のあった人生、人を避け続けた51年の人生を捨て去る決
心をたった3ヶ月でして人生が変わったこと。

それから80人の人と積極的に出会い、今ものすごく幸せであること。
全てを書きました。

その息子から金曜日に父の日のプレゼントが届いた。ドイツビール、
ドイツのソーセージだ。私がミュンヘンのビールはおいしかったと言
っていたのを覚えていたのだろう。手紙も添えてあった。感涙。

————————————————————–
….. しかし、貰った手紙を読んで衝撃を受けました。1つは、自分
の父親がすごい人間だということにです。今まで苦労や困難がありな
がら、子供である僕には微塵も見せなかったこと。手紙にもあったけ
ど、「強い」ってそういうことなんだと感じました。

次に自分の弱点を克服して、過去の自身を客観視していることも努力
の賜物だと思います。誰よりも早く起きて、机に向かって、誰よりも
遅くに床に着くという姿は、今も焼きついています。昔はその大変さ
や意味が自分の中で希薄だったけれども、今ならその大変さや、家族
を持つことの意味が少しづつではあるけれど実感を伴い始めていると
思う。

その努力を人一倍した姿や今の知識に溢れた背中を見て、将来そんな
人間になりたいと心から思います。でも一緒にいる時に話さなかった
から手紙に書かれている様な、また父親像には触れていなくて。今考
えると非常に勿体ないことだったと思っています。昔は実感を伴って
いなかったから僕が流していただけかもしれないけれど。

また、帰れる時があったら男二人で飲みにでも行きましょう。親父!
もう「お父さん」という年齢でもないでしょう。以外にも仙台、寮、
会社生活は快適で数時間かけて帰るのが憚れるので、長い休みしか帰
らないかもしれないけれど、7月か8月中の連休には必ず帰省します
ので。

最後に23年間、大学まで出させて頂き本当にありがとうございまし
た。決して出来の良い息子ではありませんでしたが、少しずつ恩返し
の1つでも、両親を筆頭に、祖母、妹、親戚、友人、恩師にしていき
たいと思っています。それでは。
————————————————————–

ものすごく嬉しかった。妻の言うことを聞いてよかった。

>「なぜ、もっとあきらめないで子供(息子)に接しないの?」
>「どんなにそうされても絶対にあきらめては駄目。私はずっとそう
> やって来た。」

その通りだ。私が子供に心を開いていないだけだったのかもしれない。
本当は息子もそれを待っていたのかなあ?

たくさん泣いてしまった。土曜日にビールを飲んだが嬉しかった。立
派に育ってくれたなあ。

妻に感謝した。「そういう子供に育ててくれてありがとう。」と。こ
ういう時は言葉で表現するに限る。

ちょうど私が自己改善をしている1992年は、息子が小学校6年生
だったと思う。当時私はすごく会社が忙しくで週に3回泊り込んで仕
事をしていた。

その息子から毎日電話が来た。「お父さん、僕たちのために毎日一生
懸命働いてくれてありがとう。」って。そう、妻も一緒に自己改善を
していた。「お父さんが一生懸命働いているから生活できるのよ。」
という教育をしてくれていた。

そんな妻の地道な子育てのお陰だと思っている。結婚して10年、お
互いに愛情がなくなり、月に1回喧嘩をしていたころからお互い再生
を誓った。それが長い年月をかけて実を結んで来たかな?でも生きて
いることイコール勉強、何歳になっても学ぶことはある。

51年間生きていることが楽しくなかったけれどこの2年間神様が応
援しているかのように変化したなあ。

本当に周りにいる人たちに恵まれている。妻、子供たち、母、Yumi
等々、感謝、感謝。

幸せな気分になったのは遅かったけれどこんな人生悪くないかもしれ
ない。

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2007年 6月 14日

メールが配信されて来ません!

原書リーディングコンサルタントのマックス石田です。

「メールが配信されて来ません!チェック願います。」

こんなメールを読者の方から最近良く頂戴します。今月は、4人くら
いの方よりメールを戴きました。

私はEメールの専門家ではありませんが、説明に挑戦しますね。

私たちのメルマガは、「まぐまぐ」「コンビーズメール」「Yahoo」
より毎朝6時に配信されます。

私の1日は、ちゃんとこれらのプロバイダーからメルマガが配信され
ているかをチェックすることから始まります。

少なくとも私に完璧に着信できているということは、プロバイダーの
Eメール送信サーバーはちゃんと機能していたことを意味しています。

Aさんだけ、Bさんだけに送信しないなどということはありえません。
データベースにある全てのメールアドレスに送信するだけです。

私は前日配信予約のためにメルマガ原稿をアップロードします。

後は、送信サーバー任せで私にできることは一切ありません。3年間
のうち5回ほど配信が大幅に遅れたことがありましたが結局配信され
なかったことは一度としてありませんでした。

つまり「配信されません。」とおっしゃる受信側の問題がほとんどで
す。個人的には100%受信側だと思っています。ただ、全てがあな
たの問題ではありません。

送信サーバーは、あるEメールアドレスを送信しエラーで返ってきた
ものに対して履歴をとります。たとえば5回連続してエラーが返って
きた場合送信を止めたりデータベースから削除したりします。

Eメールアドレスを変更した可能性、受信サーバーが故障した可能性、
受信サーバーの撤去(会社の倒産)の可能性を送信サーバーは推測し
て、ある決められた回数エラーを受信したら送信を止めるのです。

もし、あなたが会社のEメールアドレスに「筋トレ」を受信していた
のに、突然メールが来なくなる。それは、迷惑メールをどう扱ってい
るか会社の意思に依存しています。

毎日定期的に受信されるメールは、迷惑メールであると会社が定義す
る場合もあるでしょう。あるいは、風俗系のものだけカットする場合
もあるでしょう。これらは会社の意思です。

ですから、あなたが知らない間に削除されている可能性はあります。

また、Webメール(@yahoo.co.jpや@hotmail.com)では、

●迷惑メールフィルター
 迷惑メールの疑いがあるメールを迷惑メールフォルダへ振り分ける。
●フィルター
 受信したメッセージを自分で設定した別フォルダへ自動的に振り分
 ける。
●受信拒否
 受信したくない特定のメールアドレスやドメインを指定し、そこか
 ら送られてくるメールを受信しないようにする。

のような機能があります。これらは一見して便利そうですが、毎日配
信される「筋トレ」には逆効果である場合があります。

会社員の方は、IT部門の人に迷惑メールがどうなっているかを確認し
ても良いですね。でも就業中にメルマガを読みたいなんて言わないで
ね。

迷惑メール対策の設定を外すとまず「筋トレ」を受信できます。

2つのWebメールを使うと良いですね。友人からのメールは、迷惑メ
ールを設定したWebメールを使用して、「筋トレ」は、迷惑メールの
オプション設定をしないWebメールで受けてみてはどうでしょうか?

最悪、バックナンバーがありますのでそちらから見てください。
バックナンバーはこちら! ↓ ↓ ↓
まぐまぐ: http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000128563
コンビーズ: http://tinyurl.com/zmg5h

これはリスク管理ですから、1つのメールに頼ってはいけません。

私の場合ですと、
(1)会社のメール
(2)Yahooメール
(3)Hotmail
(4)gooメール
(5)Yahooの携帯メール
(6)バックナンバー
がありますのでいつでもどこでも見れるようになっています。

1つのメールに頼ると「メールが配信されて来ません!チェック願い
ます。」と言いたくなりますよね。良くわかります。でも私もユーザ
の一人で送信サーバーまでは管理していません。

今日は内容が技術になってしまいましたのでもう少し技術的な話を続
けますね。

皆さん、iPodを使っていますか?便利ですよね。昔は、リスニングの
勉強するときは、小型のCDプレーヤーを購入して電車の中で聞いてい
ました。

たくさんアルカリ単三電池をかばんに持参して切れると交換していま
した。また2枚目のCDと交換するときは電車の中ではものすごく不便
でしたね。

これらを解決してくれたのがiPodです。MP3ファイルになっているの
でPCでも聞くことができ本当に便利です。

でも普通のCDは、WAVEファイルで構成されていますので、CDをPCに入
れてMP3に変換するのに1枚当たり1時間くらい時間がかかります。

友だちからCD8枚セットを借りたのですが、1日PCが変換していまし
た。今の時代最初からCDにMP3ファイルが入っていた方がずっとずっ
と便利ですよね。

机で聞くときはPCからiTunesの画面を立ち上げMP3を聞いていますが、
いろいろなMP3が入っているので、アーティスト名、アルバム名、ジ
ャンル名がばらばらです。ブランクになっているものもたくさんあり
ます。

自分で作成したMP3ファイルですとトラック名、トラック番号も定義
されていません。

そこで便利なのが、Super TagEdditorです。スプレッドシートが出て
きて大量のファイルを管理できます。

ID3タグというものがMP3ファイルに埋め込まれています。それを編集
するソフトです。フリーなのでダウンロードしてみてください。

良く分からなかったですか?別の表現をして見ましょう。iPodで、曲
名を検索しようとするときに、いろいろの名前が出てきます。それら
の名前は、MP3ファイルの中にあるID3タグにより決定されるのです。

あなたが、自分用にもっと分かりやすい名前に変更したい場合このソ
フトが威力を発揮します。

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2007年 6月 11日

メルマガ発行1、000号

原書リーディングコンサルタントのマックス石田です。

今日は、記念すべきメルマガ発行1、000号です。

2004年4月5日の50歳の誕生日に創刊してから3年強で達成で
す。次は、2、000号をまた3年後に達成したいです。

私は、かなり頑固が性格です。外向きの頑固ではなく、内向きの頑固
で、一度決めたからには絶対に守らなければならないという意思があ
ります。意思というより意地です。

ですからメルマガ発行は人からはボリュームのあるメルマガを毎日発
信して大変ですね、と言われるのですが、本人はさほど大変と思って
いません。

このメルマガは主に「まぐまぐ」と「コンビーズメール」から配信し
ています。

「コンビーズメール」は、登録、解除の履歴が分かります。平均して
毎日5人の人が新規登録をされ、5人が解除されます。ですから、月
に150人もの新しい読者の方が自然に誕生して行きます。

「まぐまぐ」は、登録、解除の履歴は分かりません。登録マイナス解
除の結果しか分かりません。しかし、推測するとやはり5人が新規登
録をされ5人が解除されていると思います。

そうすると日に10名の方が月に300名の方が新規登録をされてい
るということになります。

ということで自己紹介をさせて頂きます。

現在53歳で、51年間の生き方が3ヶ月で変化しました。そして、
信じられないほどの幸福感の中で生活しています。

小学校は八王子市でも当時(今でもあると思うが)分校があった学校
でした。陣場高原に近い今でも東京と思えない田舎地帯です。小中と
田舎だったものですから成績はトップレベルでした。

ところが高校は都立の進学校で当時は、三多摩(全ての市を集めた名
称)全域から入学が出来たため、中学校で優秀だった人が集まって来
ました。

ですからすぐに成績下位5%に入ってしまいました。勉強できない私
は卓球に夢中になりました。卓球部の先輩たちも国公立か早慶に合格
する人が多く、私も国立大学を目指すも勉強ができないわけですから
浪人しました。

でもどうにか一浪して国立二期校に入ることができました。成績は、
大学では2位、大学院では主席でした。

すごいと思うでしょ!でもすごくないんです。ほとんどの人が勉強し
ないんです。アルバイトをして学校に来ない人、クラブ活動だけに来
る人、女性を追い掛け回している人が多く、60人の学科で10名く
らいしかまともに勉強している人がいないわけです。

ですから毎日一番前の席に座ってノートを取っていれば、トップ10
には入れるわけです。

そして優秀な?成績で大手電気・コンピュータ系の会社に入ると、ま
たしても優秀な人たちばかりです。ほとんどが国公立か早慶出身の人
です。

どうしても劣等感を捨て去ることができませんでした。さらに私には
小学校からずっと「人と話す」という習慣がありませんでした。

子供のころは、面子、コマ、ベーゴマ、川での水泳、山登り、凧揚げ
で遊び、中学校では、バスケットボール、高校では卓球と、会話をし
なくとも生きて来られたのです。大学では、ただ授業に出席していれ
ば良かったからです。

しかし、就職して初めて、人と話す必要性が出てきました。4月生ま
れで、浪人して、大学院まで行きましたので、就職したらもう26歳
でした。

仲間が自然に会話を楽しんでいるのに私は全くついていけません。脳
がコミュニケーションをしないように出来ていますので、「無駄な会
話」「ごまかす会話」「話をそらす会話」「相手を褒める会話」「相
手をわざと怒らせる会話」「相手とラポールをとる会話」等々全てで
きませんでした。

でもこんな私でも結婚することができました。28歳の時です。です
から会話を学んだのは妻からです。

でも26年間の普通の生活の中で会話をトレーニングして来なかった
わけですから簡単に人とコミュニケーションがとれない期間が長く続
きました。

転職し大手電気・情報系の会社に入社しました。私より若い人がソフ
トやハードの設計をやっていました。またしても劣等感の始まりです。

海外出張する人、海外赴任する人を見るにつけ、私は優秀でないかも
しれないが海外に行きたいと思うようになり、米国の日本法人に転職
しました。

コミュニケーションが取れない私ですから今まで一度も上司から認め
てもらったことはありませんでした。結婚して10年、妻に対して愛
情がなくなり、上司とはうまく行かず、父を憎み続け、悪い子供をし
かっていました。妻とは1ヶ月に一度の喧嘩がありました。

ある人の紹介である人に出会い自分改革を始めました。3年が過ぎた
ころ、妻、父、上司、息子の問題は全て解決していました。

父には手紙を書いたり自作した詩を贈り、妻には出勤前にキスして行
きました。息子の小学校の先生と交換日記を行い息子の良いところだ
けを記入し続けました。妻には、ありがとうを連発するようにしまし
た。腰や肩を揉んであげるようにしました。こんなことをしていると
上司が私のことを初めて認めてくれました。

死にたいほど辛かった人生も自分が行動をすると変化することを始め
て知りました。人は皆自分が正しいと思って生きています。

しかし、自分が間違っていると認識できると人の話も素直に聞けます。
良いインプット(行動)をすると良いアウトプット(結果)がでます。
30歳後半の経験でした。

それからは、妻とは一度も喧嘩をせずに現在に至っています。

そんな痛みを負った人生でしたから再生した後の人生である40代は
本当に幸せでした。幸せの生き方に徹して人と争うことは全面的に避
けました。

しかし、49歳になるとリストラされる危険性を感じました。まだ、
妻子を養う必要があり、リストラされても良いように準備を始めまし
た。

それが「週末起業フォーラム」への入会でした。そこで週末起業ビジ
ネスの基礎を学び、メルマガを発行しました。それから2年51歳の
ときにウェルスマスター・イングリッシュクラブに入会しました。

英語を使用して国際的なビジネスをしたいそんな気持ちでした。しか
し、ここで学んだものはそんなちっぽけなものではありませんでした。

たった3ヶ月で私の51年間の人生が変わったのです。

本を読んで「分かる」ことは出来ても実際に「行動」できませんね。
分かることとできる(行動)ことには大きな差があります。

私には常に劣等感がありました。自信がありませんでした。人とのコ
ミュニケーションがとれませんでした。

あるセミナーを受講しました。

自信がつき、コミュニケーションがとれるようになりました。土日は
家にずっといた私が1年で80人もの人と会い、どんどん行動してい
ます。

感情をコントロールするにはトレーニングが必要です。自信をつける
のもトレーニングが必要です。プラスの言葉を毎日言い続けるのもト
レーニングが必要です。一人だと出来ません。

同じ目的をもった仲間が応援してくれ初めて自分を変えられるのです。

私が編集後記で言いたいのは、人生は変えることができるということ
です。このメルマガを創刊したころと最近の編集後記では内容が違っ
ていると思いませんか?

この編集後記を書き続けることにより私が変わることにより皆さんが
それをご覧になって、あのMaxが変わったんだから私にもできる、っ
ていう人が多くでたらいいなあと思っています。

話は変わりますが、Yumiが宝地図を作ったそうですね。実は私も、1
月2日に宝地図を作りました。私は、セミナーに行っていません。で
も、3つのミッションと7つの明確な目標を掲げました。

同時に妻と娘も作りました。絶対にお勧めです。全部実現するために
行動して行きます。

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2007年 6月 07日

NAC 2007 - Dr. Clemen Chiang

原書リーディングコンサルタントのマックス石田です。

Dr. Clemen Chiang

この人は、中国系のシンガポール人で、オプショントレーディングの
世界大会に出たり、トレーニングを開催したり、テレビ、新聞で有名
な人だ。

彼は先週(セミナー出席時)、S$1,141,800(約9,000万円)稼いだ。

お金を得るには、彼は、未来を見る力が必要だと言う。そして、休む
ことなく調査を続けることだと言う。

2007-2010で、シンガポールの家計はダウンしていくと予想している。
シンガポールの平均月収は、S$8,000/月(年収にすると800万円)だ。

95%の家庭はお金を貯められない。トップ5%は、引退のお金を貯め
ている。

オプション取引こそパワフルな投資である。

今日は、ちょっと短めにスピーカの話を終わらせて戴く。やはりお金
を払ってセミナーに出た者だけが得る優位性も残しておかないと参加
者に怒られてしまう。許して下さい。

水曜日は、会社及びパートナーの方と横浜の鳥料理のお店に行って来
ました。

とにかくおいしいのです。肉が大好きな人だったらたまらない味でし
ょうね。「一鶴」というお店です。

本当に感激する味です。

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